NO.61 死生観

橋

60歳を目前に、還暦同窓会や還暦旅行などイベントがたくさん企画されます。この年齢になると、話題といえば病気のことや自分の最期をどうするかなどの話が増えます。

自分の最期をどう考えているかの話になれば、苦しまずにコロっと逝きたいという人がほとんどですが、余命宣告を受けたらどうするかという話は、考えが分かれるように思います。

いざ余命宣告を受ければ、どうなるか不安だと思う人の方が多いのかもしれません。

死は人生で一度だけ与えられた人生のプログラム

以前、間質性肺炎で余命宣告をされている方の講演を聞いたことがあります。
その方の余命は2.5~5年で、自分が「死」を見つめるようになると、健康な人が見ている「死」とは、ずいぶん違うことがわかってきたと話されていました。

死ぬ人には5通りあるそうです。死が遠ざかる人、死に触れなくなる人。死ぬことを認めない人、私は死なないとがんばる人、死にたいもうダメだと落ち込んでしまう人。

死をきちんと受け止められない人が多いとおっしゃっていました。人は人生で一度だけ死ぬチャンスがあり、与えられた人生のプログラムなのに、計画を立てて取り組んでいる人がほとんどいないのだそうです。

健常者と死に行く者、それぞれの死生観の違い

健常者の死生観は、死を美化しタブーとし、命は何よりも尊いものとし、死を諦めてはいけないものとしている。健常者は、「為せば成る、人生ならぬは為さぬなりけり」の精神が基本にある。健常者側はけっこう前向きに考えていて、健常者が考える「死」は、当事者ではないから、間違っていることもたくさんあるということらしいです。

死に行く者は、前向きにすべてを考えられるわけではなく、本当の気持ちをどこかに追いやられてしまうのだと。「死ぬ」なんて言ってはいけないといった空気感があり、でも、死をきちんと了承しないとうまく死ぬことはできないとおしゃっていました。
真実に基づき、死ときちんと向き合った「死の準備教育」が必要だというのです。

「死」は、健常者側も死にゆく人の側にも、両方の理解が必要だと思います。
どちらも、まともに向き合うことなく、考えてはいけないことだと思っているのかもしれません。やっぱり経験していないことですから、誰もが怖いことなんでしょうね。

「人生をどう完結させるか」が重要

「死んでしまったらどうなるのだろう…?」と、子供の頃に考えたことがありました。
考えてもわからず、どうなるかの不安ばかりが先に来てしまいました。
それは大人になった今でも同じで、経験していないことなので不安が先に来ます。
ですが、身近な人の「死」に向き合ってきた結果、死にゆく人の気持ちや、見送る側の気持ちを考えるようになったのも事実です。

延命は生きている側の人の満足であるのかもしれません。
講演者の方は、1分1秒でも長く生きて欲しいと考えるのは当然のことだが、お金を使って命を伸ばすだけなら本人はつらいだけではないのかと。さっさと死ねることも大事なことだとおっしゃっていました。「生きている時に踏ん張れ!死ぬ時は踏ん張るな!わきまえるべき」とも。

さらに「人は100%死ぬのであって、生きている時に何をするかが大事。死なないでいることに力を入れ、お金をかけることは大事ではない」と話されていましたが、それは死と向き合われた方の重い言葉だと痛感しました。
健常者にとって、それを考えることはなかなか難しいのかもしれませんが、歳を重ねてくると考えるべきことなのだとも思います。

「死」は人生最後の見せ場だそうです。余命宣告を受けたら死に時を考えるべきで、人生をどう完結させるかがとても重要なのだそうです。

「あの世に逝く力」は、これからつけていかないといけないと感じています。
多分、献上者として考えるのと、当事者になるのとは違うと思います。落ち込んだり泣いたりするかもしれません。ですが、死生観を自分なりに持っていると、少しは悔いなく人生を完結できるように感じています。

山田有希子(薬剤師・サプリメントアドバイザー・ナキュア代表)
薬科大学卒業後、薬剤師や美容アドバイザーなどを経て2001年
サプリメントショップを開業。個人顧客からメーカー企業まで幅広く事業を展開。
日本ニュートリション協会会員。